スポンサード リンク


2009年06月06日

説教じみたアドバイスなんて無意味です

このところ、立て続けにご主人を早くに突然亡くした方と
話しをする機会があって・・・思いました。

経験をしている人ほど、説教じみたアドバイスはしない・・・
ということを。

説教じみたアドバイスなんて無意味でしょうもないものだと
いうことを心のそこから分かっいるのでしょう。

結局、自分のことは自分でしなければならないわけだし
自分の決断や行動の責任は、自分にあるわけです。

誰のせいにもできはしない。。

説教じみたアドバイスをしてくれる人は、私の人生の
責任までとってくれるわけではない。

その人のアドバイス通りしたところで、うまくいかなかったら
自分の責任です。

例えば、私が福岡のお母さんの言う通りに福岡に行ったとして・・・
私が向うで精神的に参ってしまって病気になったところで
原因は、私の心が弱かったから。。
ということになってしまうのです。

もともと、絶対に無理なことはわかってるのに。

私の友達は一人もいない・・・
いるのは、向うの親戚だけです。

自分が嫌だと思いながら人のアドバイスに従うなんて・・・
何も考えずに人の意見に流されるなんて・・・

もう絶対にやめようと思います。

人が私にどんな期待をしても、それはその人の問題です。

私は、自分勝手・・と言われても、自分の心のままに
自分の心ときちんと対話してから行動していこうと思います。

非難されてもそれは、仕方のないこと。

自分の行動や決断の責任は自分にあることをしっかり
認識しながら、生きていこうと思います。

自分で決めたことで後悔しても、それは私の問題だから。

人のアドバイスに従わないことで非難されても、無理矢理
アドバイスに従ってうまくいかなくて非難されるよりは
ずっとマシです。

posted by 桃色珊瑚 at 22:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
同意出来る。
何かを無くしたときの苦しみなんて、他人に分かったような物事じゃない。
所詮、説教は「上から目線の暴言の塊」のようなものだしね。
所詮、説教やアドバイスは、大抵の人には通用しないものなのにね。
Posted by 玄野計 at 2011年12月24日 19:48
主人を半年以上の闘病の末、葬ったものです
あなたの、清き思慮に同意します
人は、忘れます
私以外の人は、友人として親族として同僚として・・・・・また息子としても忘れます
それが、潔癖な私の精神を逆なですることも
しばしばではありますが、それは仕方ないこと。
私の人生は私のものであって、ですが
主人と伴走していなければ得られないものも
多かったわけで・・・。はたして今からどう生きて
いけばよいのかなどと、私以外の人には、
それほどに打ちのめされる事ではないのです

それが、わかった半年でしてた
私がどれほどに彼を愛していたかなどは
他の誰にもそれほど重要ではないのです
回向を繰り返して、勤めを果たすという考え
には同意しないけれど、でも私以外の人には
それで十分ではないかと思っています
彼は36歳で、逝ってしまいました
それ自体が悲劇的なのではないのですが
80歳で往生するのとはいささか意味合いが
違いますね、この無念を私が何かの形で
果たせないかと、日々 内向していっている
わけです
災害や、不慮の事故で亡くなった沢山の方々に
同じような思いを抱きながら生きているのです

どうか、他人に期待しないで
ですが、あなたは何かを与え続けてほしい。
Posted by ワキ ヨシコ at 2012年08月14日 21:01
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。