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2009年01月10日

浩一郎が東京に行ったばかりのころ

最近、浩一郎が東京に行ったばかりのころを思い出します。

武蔵美に行きだしたばかりのころ、一人暮らしを始めた浩一郎の
ところに、けんちゃんと一緒に行った時のこと・・・

生活に必要な物を買う為に、新婚時代に行ったホームセンターに
行ったり・・・

最初に行った時は、車に荷物を積んで行くので私は電車で行くように
言われて・・・国分寺の駅に降りた時の懐かしかったこと・・・

新婚時代、私の帰りがけんちゃんより遅くなると、けんちゃんは
国分寺駅の北口に迎えに来てくれました。

新しいお店ができてもいますが、北口の雰囲気は今も変わって
いませんでした。

けんちゃんは、とても子煩悩だったので、浩一郎と離れるのは
とても寂しかったと思います。

もしかしたら、私が寂しいと思った以上に、けんちゃんは寂しかった
んじゃないだろうか・・・と今になると思います。

浩一郎が東京へ行った約5ヶ月後に、けんちゃんは亡くなったわけですが。

この5ヶ月間の間に、何回浩一郎のところへ行ったかな?
毎週というわけにはいかなかったけれど、浩一郎のところへ行くとき
けんちゃんはとても嬉しそうでした。

そして、なんでかこの5ヶ月間は、今思うとなんとも不安定な感じの
不思議な時間でした。

今まで、家族3人で楽しく暮らしていて、浩一郎がいない生活が安定するには
もう少し時間が必要だったのでしょう。

ちょっと切ない時間だったなあ・・・と思います。
浩一郎のところから帰ってくる時、夜の関越を走るのはなんとも寂しい
ものでした。
暖かくなり始める季節なのに、何故か妙にひんやりしていて・・・

思い返すと、その時には気付かなかったことが見えてくることもあります。
思い出を振り返ることは、けして悪いことじゃないと思います。

そこから、今の自分が学ぶこともあるんです。




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posted by 桃色珊瑚 at 01:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

思い出の街、国立

最近、けんちゃんと私のお気に入りだった場所のことを
思い出します。

結婚してすぐは、小平に住んでいましたが、結婚する前は
けんちゃんは国立に住んでいました。
国立って言っても、最寄り駅が国立ってことで、住所は国分寺でした。
それも大学通側の出口じゃなくて北口の方でした。

けんちゃんと私はよく国立の街を散歩したものです。
大学通は広々していて、歩いているととても気持ち良かった・・・

洒落たレストランもあって、二人のお気に入りのお店も何件か
ありました。

北口から南口に抜ける道、細かったなあ・・・
今ではどうなってるんだろう。

私はその頃は、吉祥寺の実家に住んでいましたから、二人で
吉祥寺の街へ行くことも多かったのですし、井の頭線を使って
渋谷に出ることも多かったのですが、けんちゃんは人混みが
苦手だったので、一番落ち着くのが国立でした。

二人でよくスパゲッティを食べに行っていた「いたりあ小僧」
美味しかったなあ。
今では、浩一郎が時々、食べに行っているようです。

今では少なくなった喫茶店もあの頃は、よく行きました。

そういえば、紅茶専門店ってあったなあ・・・
お店の名前は、忘れちゃったけれど。
けんちゃんと二人で、紅茶とケーキ良く食べに行ってました。

けんちゃんは、甘党だったので・・・

国立の街を思い出すと、街路樹に陽の光がキラキラしている
瑞々しい光景が浮かんできて、幸せな気持ちになるんです。





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タグ:国立
posted by 桃色珊瑚 at 11:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日

アパート探し

私達家族が高崎に引っ越してきた時、住いは日立の
社宅でした。

東京の小平にいたときも社宅でしたが・・・
2DKで新婚から子供が小さいうちは十分な広さでした。

ところが・・・なぜか・・・

高崎の社宅は2Kで畳の大きさも心持ち小さく
ちょっと狭かったのです。

新婚さん向けにシャレたつもりの造りだったのですが
なんとも使いにくかった・・・

なにより、小平の社宅の間取りで家具を揃えていたので
どうしても食器棚が入らなくて、買い替えた記憶があります。

といっても、それまで使っていた食器棚は不要品を
頂いたものだったので、新調したかんじでした。

でも、どうしても納得いかなかったのが、社宅費で・・・
東京と高崎ではどう考えても、一般的な家賃は高崎の方が
安いはずなのに、何故か高崎の方が社宅費が若干高くなっていたのです。

???けんちゃんも私もどうしても納得いきませんでした。


そんなある日、社宅で友達になった人が、社宅を出て
一般のアパートに引っ越したので遊びに行ったのです。

その友達は、群馬出身だったので土地勘もあり
便利なとてもいい部屋を見つけての引っ越しでした。

遊びに行った私は、交通の便も良くて、広い日当りの良い
そのアパートにびっくりしていました。
社宅費に少しプラスすれば借りれてしまう金額でした。

その日、会社の帰りに、けんちゃんが迎えにきてくれて
その足でアパート探しに向かった私達でした。


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posted by 桃色珊瑚 at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

高崎

息子、浩一郎が1歳になった時に私達はけんちゃんの転勤で高崎に
やってきました。
私は引越しはたくさんしましたが、東京から出るのは初めてでした。
同じ関東とはいってもなんとなく不安な気持ちはありました。
東京から出たことのない私は、東京以外は全部田舎みたいな先入観が
あって、病院は?買い物は?美容院は?なんて今考えると笑ってしまう
ような小さな不安をたくさん持っていました。

誰も知っている人のいない土地で、家族3人。
ひとつひとつの生活を積み重ねて今日があります。

たいした苦労をしたわけではないと思います。
でも右も左も分からないところから始まった高崎での生活も20年も経てば
自分の生活の全てになってしまいました。

地元の幼稚園・小学校・中学校・高校に通った浩一郎にとっても
ここ高崎は故郷なんです。



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posted by 桃色珊瑚 at 15:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

出産

毎日デパートの階段を登ったのが良かったのか、微弱陣痛だったにも関わらず、安産でした。
陣痛の痛みも出産の痛みも、今となってはあまり憶えてはいません。

母がお産した病院でしたので、私もリラックスしていたのかもしれません。
病室は3部屋しかない病院で、食事は3食、院長先生の奥様が作ってくれるという家庭的な病院でした。
とてもお料理の上手な奥様で、入院中の私は美味しい食事が何よりの
楽しみでした。

けんちゃんの家系も私の家系も女系であるのに生まれたのは男の子、
ということでけんちゃんの喜びもたいそうでした。
私の人生の中で一番幸せに輝いているひとこまかもしれません。


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posted by 桃色珊瑚 at 10:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

妊婦さん

大きなお腹になった私は運動不足解消のためよく歩いたものです。
ちょうど季節も3月4月5月と一年のうちで私の一番好きな季節に
なっていました。

社宅の近くの玉川上水は良いお散歩スポットでした。
上水づたいに歩いていくとけっこう遠くまで歩けてしまうのです。

5月に入り、実家に戻った私を母はいろいろなところに連れ歩きました。毎日1時間程のお散歩は日課でした。
夏のように暑く、散歩の途中薔薇の花が綺麗に咲いていて、とても良い香りだったのを憶えています。

母は「生まれたら暫くの間は出て歩けないからね」と言って父と
よく一緒に行っていたお店などに毎日のように二人で出かけました。

父の友達がやっているカラオケスナック、父が大好きだったお寿司屋さん、
焼肉屋さん。

お店の人に「こんなにお腹の大きい人が来るのは初めてだよ。
ここで生まないでくださいね。」なんて冗談を言われ、
つかの間の楽しい時間でした。

予定日近くなると、母は毎日私をデパートに連れて行きました。
買い物のためではありません。

デパートの階段を登らせるためです。
母流の私の安産を願ってのことでした。


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posted by 桃色珊瑚 at 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月13日

妊娠

父が亡くなった翌年の6月、私は長男浩一郎を出産しました。

母は私の妊娠が分かった時から少しづつ元気になっていきました。

つわりの私の為に私の好物を作ったり、オムツも手縫いで作ってくれました。

私がしたことの中では一番の親孝行だったのではないかと思います。

そして、今思えば私にとっても浩一郎がお腹の中にいた時期は幸せな時
だったと思います。

妊娠初期は流産しそうになったりして入院したりもしましたが、
安定期に入ってからは、ほんとうにゆっくりとのんびりと時間が
過ぎていきました。

父が亡くなった後、久しぶりの穏やかな安定した日々でした。

私は何故か生まれてくるのは絶対に男の子だと確信していました。


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posted by 桃色珊瑚 at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

祖父の死

父が亡くなった年の12月、祖父が亡くなりました。

父が亡くなる前・・私が結婚する前、まだ実家に居るころから
少し痴呆が始まっていて夜中に徘徊したり、ご飯を食べたことを
忘れてしまったりしていました。

そんな祖父でしたので、父が亡くなった後、母の状態を見た時
とても同居を続けられる状態ではなかったので、市役所の福祉課に相談し、特別養護老人ホームに特別枠で入れてもらうことにしました。

ところがホームに入って間もなく、転んで大腿骨を骨折し
入院してしまったのです。

入院中の介護はヘルパーさんにお願いしていたのですが、
そのヘルパーさんはとても気持ちの優しい良い方でした。

祖父の故郷の東北なまりのある方で、祖父は赤ちゃんのようにきれいに
してもらっていました。

目の見えない祖父は何故か私に介護してもらっていると勘違い
していたのです。
ヘルパーさんも話を合わせてくれていて、妊娠初期で介護に
行けなかった私はありがたくて涙が出ました。

祖父は穏やかに静かに亡くなりました。


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posted by 桃色珊瑚 at 08:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

手続きetc...

その後、たくさんの手続きが私を待ち構えていました。

市役所から始まって金融機関、法務局、裁判所。

父の保険金で母と妹たちが暮らしていけるようにファイナンシャルプランを
たてること。

けんちゃんにも協力してもらい短期間でやっつけました。

父は自分で商売をしていたので、相続の問題は手落ちがあっては
まずいので、弁護士さんにお願いしました。

私は、動けない母に代わり、弁護士さんの指示に従い相続人の代表として
書類を揃えたりいろいろな場所へ出向いたり、忙しい毎日でした。

私の知っている父は家庭人としての父。
仕事で忙しくしていたので帰りも遅かった父でしたが、家にいるときは
お酒を飲み冗談を言い、時には料理を作り、楽しい父でした。

父が亡くなるまでは仕事人としての父の顔を私はあまり知りませんでした。





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posted by 桃色珊瑚 at 10:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月09日

父の葬儀

父の葬儀は自宅で神式で行いました。

結婚式を神式でする人はたくさいますが、葬儀を神式でする人は
少ないですよね。

神社で仏事はできませんので、自宅まで宮司さんにきてもらって
ということになります。

父は日本人としての誇りを持っている人でした。

仏教は教えであって宗教ではないという考え方の人でした。

神式での葬儀はいたってシンプルです。
もちろん読経もありません。

けんちゃんは父の葬儀を見て、自分は無宗教だしやはりお経は
あげてほしくない、と言っていました。

父の葬儀の後、私は母のことが心配で毎日のように休みの時は
けんちゃんと一緒に実家に足をはこびました。


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posted by 桃色珊瑚 at 09:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

父の死

結婚してすぐの冬、私の父が突然なくなりました。
49歳、50歳の誕生日を迎える直前でした。

日曜日の朝、私はまだ布団の中でウトウトしている時。
電話が鳴り、取り乱した母の声がしました。

父は実家の吉祥寺から遠く離れた伊豆で亡くなりました。
ゴルフに行っていての突然死でした。

そういえば、私の父も突然死ということで警察が入ったのです。

私とけんちゃんは私の母と従兄と共に父を迎えに伊豆へ向かいました。

父は伊東の警察にいました。

この時もドラマの1場面のようでした。

母はとても小さく見え、意識も朦朧としていたようです。

けんちゃんはその後、葬儀のことから諸々の手続きのこと、
全て率先してやってくれました。


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posted by 桃色珊瑚 at 10:34 | Comment(0) | TrackBack(9) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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